第4回『吉方位旅行』新潟県新発田市 2021年4/8

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車窓(新潟県内)
行生

行生

ブロガー 

 東京オリンピックが行われた昭和39年11月生まれのアラ還、九星気学上は九紫火星人。
都内男子校を卒後、慶大文学部入学。同大学を卒業後不動産事務、地方公務員と職を変え退職後フリーターとして職を転々としながらも「TOEIC」に挑戦。人生初の結果は400点ほど。以来4年ほど勉強。600点台で頭打ちとなるも、2020年末気分転換で行った吉方位旅行後すぐの受験で700点突破。その後も開運旅行を続けその素晴らしさ楽しさに目覚めインフルエンサー目指し本ブログを立ち上げ今に至る。

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 5:15起床、二度寝しかけましたがセーフ。本来北海道に行くはずでしたが、もたもたしてるうちに航空券の値段が上がってしまったので行き先変更。新潟への旅になりました。しかしながら今回は初の200キロオーバーの旅行。加えて初めて使用する青春18きっぷ」(以下18きっぷと呼びます)がちゃんと最後まで使えるのかどうか不安の中、7:18頃に家を出てJR登戸駅へ向かいます。

行きのルート

 駐輪場まで自転車に乗ったのですが、背負ってる荷物(パニアバッグ)が思いのほか重くて早くも先が重い(思い)やられます。前回に登場した「いつものお婆ちゃん」に今回も途中で出会うことが出来、その姿に「自分もまだまだ頑張らねば」と思いペダルをこぎます。

 7:25頃駐輪場に到着。ここから登戸駅までかなり歩きますが、利用料が安く(50円/1日)空いてるので利用しました。350mほど歩き、7:46発の南武線を目指します。案の定、朝の通勤通学客で駅は混んでました(~_~;)

 時間どうり、7:46発立川行き南武線に乗車。「ぎゅうぎゅう詰め」に近い状態だが何とか府中本町駅まで耐えました。まだ7:55で今度は8:07発の武蔵野線に乗り換えです。

 武蔵野線「むさしの号大宮行き」の最後部に乗りましたが、先ほどとは違い混んでないのでほっとしました。このまま大宮まで行けますので便利です。途中の西国分寺駅で乗客が増えましたが南武線ほどではありませんでした。

 8:44大宮駅着。ここで高崎線に乗り換えです。出発まで15分ほどあるので構内散歩とおトイレに。途中「パンダ焼きのお店があり、その可愛らしさに癒されました。自動販売機でペットボトル水を購入後、高崎線快速「アーバン号」に乗車し先頭車両へ。これで3本目の列車になります。

 9:01定刻通り発車、左手に「鉄道博物館」を観ながら進んでいきます。このままスムーズに進むと思いきや、緊急停止のアナウンスがあり電車は急停止(?_?)。「踏切内の安全確認のため停止しました」とのこと。何者か踏切内に侵入したのかもしれませんが、程なく再発車。幸い、それほどの遅れには至りませんでした。

 その後は快速らしく途中駅をとばして快走しました。青春18きっぷは特急電車には乗れないのでもっと大変な旅を想像していましたが、意外に快適と思いました。自分は撮影のため、ほとんど座りませんでしたが、皆さんは遠慮なく座って楽な旅を(^_^)/

 列車は熊谷をでて直ぐの籠原駅で一旦停車、前の五両編成を切り離すため行生は後ろの車両へ移動。4分後の9:40籠原を発車。岡部駅辺りから遠くに山並みが見え始め、のどかな風景になっていく。

  10:12分高崎駅到着。付近の構内にはSLぐんまみなかみ号12系客車旧型客車が置いてありました。機会があれば、是非とも乗ってみたいものです。

 お次に乗る上越線みなかみ行きは13分後の出発なのでおトイレを済ませ、6番線へ。

 乗り継ぎ4本目みなかみ行き普通電車は10:25発車。先頭車両に乗り込みました。新前橋駅構内に「リゾートやまどり号」が置いてありました。この特急は国鉄時代の「485系」特急型車両を改造した貴重な”生き残り”です。ここからは利根川沿いに列車は進みます。

 だんだんとトンネルも多くなりかなり標高も高いところまで上がってきた印象です。上牧(かみまき)駅から雪景色の谷川岳が大きく見えてきました。11:29高崎から1時間ほどかけて水上駅に到着。

 何と次の乗り換え電車が来るまで2時間ちょいもありますので途中下車。駅員さんに18きっぷを見せれば駅から出れますし、再入場も出来ます。こういうところは便利ですね。

水上駅改札
水上駅改札:自動改札は通らず、こちらで切符を見せて一時下車

 時間的にお腹が空いたので予めリサーチ済みのレストランを目指します。駅前の売店やレストランには目もくれず歩きますが右手に「SL広場」が見えたので、ちょっと寄り道。機関車の中でも有名なD51型745号機が「準鉄道記念物」として飾られています。現役のみなかみ号のD51498号機なのでこちらの方が古いと思うのですがこれも個体差なんでしょうか。おそらく498号機の方が動態保存に耐えるコンディションの良さだったんでしょうね。D51は1000台ほど製造され、ちなみに500号機米軍の空襲で大破し廃車になったそうです。

SL転車台広場
googleストリートビューより引用

 この時の写真が撮れてなかったので、Googleさんから拝借しました。あとSLみなかみ号にも使用するというSL転車台がこの奥にあったのですが気づかずに見るのを忘れました、残念(>_<)。まあ次回のお楽しみに取っておきましょうか。

 このあとは谷川橋を渡って国道291号線沿いに歩き、11:45ごろレストラン「あしま園」さんに到着。先客が二組ぐらい居てもう食事中でした。混雑はしてませんでしたが、このご時世ソーシャルディスタンス確保のため入り口直ぐの席にしました。800円のハンバーグカレーかオムライスで迷いましたが前者を選択。朝から立ちっぱなしでしたので、座っただけで幸せな気分に。座れることに感謝(^・^)

 丁度12時ころカレーが目の前に。半端じゃない量にド肝を抜かれました。これで普通盛り(・・? 見たところ3人前はありました。とにかくお腹は空いてたので、食べていきました。ルーとご飯が多くて肝心のハンバーグが隠れちゃってました。味はお蕎麦屋さんのだしカレーっぽい感じで美味しいのですが、やはりこの量は完食できませんでした(+o+)。

 このあと満腹になったお腹の腹ごなしに、国道291号線を南下。この辺りもすっかり桜が満開で見頃になっていました。グーグルマップに出てこない「日露戦争の凱旋記念碑」や昭和生まれの人には有名な「ホテル聚楽」の前を通って、ピザ店「ラ・ピエールへ。

 外で食べてる人も居たので、もしや混んでるのではと店内に入るとやっぱりな状況でした。最初からお持ち帰りのつもりでしたので「菜園風野菜のピッツァ」を1,166円で注文。15分ほどして立派な箱に入ったのをもらいましたが、持参の袋が小さかったので使えず、そのままバックパックのネット部分で押さえ、箱を立てて運ぶことに。これが後々悲劇を生みます。

 13:03ごろお店を後にし再び利根川を渡って駅前の通りへ出ます。時間がたったのと散歩が功を奏したのか、お腹が落ち着いて来ました。胃にもたれなくて良かったです。

 ここは「おいでちゃん通り」と呼ばれてるみたいで、水上温泉街のキャラクターのようです。ちなみに温泉むすめという日本全国を網羅するアニメキャラもあるようでして、ここ水上は「水上凛心(りこ)」ちゃんというキャラが担当みたいです。他にも群馬は4人の温泉むすめがいるのに、地元山梨は2人だけ。梨っ子としてはせめてもう一人増やしてほしいです。

 さて駅まで来ると急に風が強くなり、寒くなってきました。13:22駅員さんに18きっぷを見せて、さっさとホームへ。まだ発車まで15分ちょっとありましたが、すでに電車は向こう側のホームに入線していました。跨線橋を渡ると電車の扉は閉まっており、乗車するときだけ乗客がボタンを押して入るセルフシステムになってました。乗車して程なく車掌さんの検札が。これで乗り継ぎ5本目になります。定刻13:40出発。

 次の湯檜曽駅手前で利根川とはお別れになり、長さ14キロにもわたる新清水トンネルに突入。かつての文豪が「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と表現した風景はどんなものかワクワクして来ました。

新清水トンネル入り口
新清水トンネル入り口;向こうには上り線の湯檜曽駅ホームが一部見える

 ちなみに水上も太宰治「姥捨て」ゆかりの地ということで記念碑がたっています。奇しくも先ほど昼食時に利用した「あしま園」さんのすぐ前の交差点のところを入って上がっていくと辿り着きます。

下りの湯檜曽駅ホーム
下り線湯檜曽駅ホームこの暗さ、地下鉄より地下鉄っぽい⁉

 次の土合駅は別名「もぐら駅」と言うそうで上り線側のホームとの高低差が81メートルあります。某テレビ番組で飲み鉄を自称する六角精児さんが実際に階段を登って上がったそうです。機会があったら降りて散策したいですが、一日5本しか電車は停まりませんので、帰りの電車の時間を決めてから行きましょう。この土合を出るといよいよ新潟県に入ります

下り土合駅ホーム
13:50ごろ土合駅着;群馬県内最後の駅、この先2キロほどで県境に

 やっとトンネルを抜けました。雪国とはいきませんが、まだあちこち大きな雪の塊が解け残っていてその名残は感じられました。

新清水トンネル新潟側出口付近
トンネルを抜けて直ぐの風景;魚野川付近、向こうの鉄橋は上り線

 このあとは「越後〇〇」とか「○○スキー場」とかの駅名が多くなって来て、新潟へ来た実感が徐々に湧いてきます。なんと石打駅から自転車をそのまま持ち込む自転車君を発見。この電車に乗り込んで来ました。ここら辺は輪行天国ですね。首都圏ではなかなかお目に架かれない光景です(^^;)。

自転車と共に電車を待つ少年
自転車と一緒に電車に乗る少年
電車を降り自転車を押して歩く少年
先ほどの少年
二駅先の塩沢駅で普通に下車していきました

 まあ世の中にはいろんな人が居ますが、何処かから乗ってきた男性客が時おり大きな声で「疲れたぁ」とか分けわからないことをぶつぶつ言ってましたが、小出駅で降りたのでホッとしました。この人、降りる際にも「疲れーあ”あ”」を連発。聞かされてるこっちが疲れてきました(@_@;)

 越後川口駅を出ると左手に信濃川が現れます。土樽駅辺りから並走していた谷川岳中腹が水源の魚野川はこの信濃川と合流することになります。この辺りまでまだまだ田畑などに沢山の雪が残っており、4月でもまだまだ寒いことを物語ってます。

左手に信濃川
越後川口駅を出て直ぐに信濃川と合流

 とは言うものの残雪は徐々に少なくなって行き、小千谷駅以降は、ぱったり見なくなりました。標高で言いますとこの辺りは70メートルほど。以降進むに連れ低くなっていきますので、地表の温かい部分が増えるから雪が無くなるのが早いのかなと推測します。加えて時間的なこともありますが、西陽が強く当たって車内は蒸し暑くなってきます。

小千谷駅
小千谷駅着この辺りから雪がなくなります
微笑ましい親子ずれ
宮内駅での親子連れ;奥の女性が見送りに来てたようです

 宮内駅で微笑ましい親子連れにあいました。実家への帰省の帰りと思われます。自分にもあんな小さい時期があったなと思い出させてくれました(*^_^*)

長岡駅貨物ヤード
長岡駅手前の貨物ヤード
信越本線 豊栄行き電車
信越本線 豊栄行き

 そうこうしてるうちに、終点の長岡駅に定刻15:29に到着。次は15:32発信越本線の豊栄行きに乗り換えですが、降りたホームに停まってましたのでそのまま乗車。関東人にはピンときませんが豊栄駅は新潟市内の駅です。この電車で本日6本目

 15:40見附駅でかなり数の高校生が乗ってきました。この光景を見て明日の同時間帯の混み具合を想像できれば良かったのですが、その想像力の大切さを次の日思い知ることになります。

 16:28新津駅着。この新津駅4方面(群馬、新潟、会津郡山、山形)に行けるターミナルになってます。ここで羽越本線 米沢行きに乗り換え。車内は学生で混雑してました。この列車で7本目、今日最後の列車です(^^;)。この車両は屋根にパンタグラフが付いてないので電気ではなく、燃料で動くようになってます。モーター音の代わりにエンジン音がして面白いです。加速が良くて体が持ってかれるような感覚になります。トラックと似てますかね。

羽越本線 普通列車
本日最後の乗り換え
車内は学生たちで混雑
車内は学生さんでいっぱい

 列車は阿賀野川を渡り二つ目の水原駅に到着。ここでかなりの人が降りましたので座ることにしました。お昼の時間を除いて8時間ほど立ちっぱなしでしたので両足は疲れのピーク手前でしたので丁度良かったです(^^♪

車内からの阿賀野川
福島県の奥会津から流れる阿賀野川
列車内シート
疲労にあらがえず着席

 手前まで無人駅が多かったので、新発田駅もそうなのかなと心配しましたが、杞憂に終わりました。17時ごろ、人ごみの西口改札を出ると、天気予報では降らないはずの雨が。まだポツポツ程度だが、それにしても寒い(~_~;)。今日は春の陽気から真冬まで一日で一気に経験したような気分です(体は悲鳴を上げてると思うがw)。最初は出て右側に進もうとするも、雨にたじろぎ左に進んでしまう。右には東口に抜ける連絡通路(宿には近道)があったのだが、あとの祭り(事前のリサーチ不足です)。だがそのおかげでとある人物の存在を知ることに。これも何かのお導きかもしれません。ラッキー

新発田駅内部
やっと新発田駅へ到着
新発田駅連絡通路
向こうに見える瓦屋根が連絡通路でしたが

 その前に海賊船「サニー号」を発見。ルフィーとその仲間たちは見当たらなかったですが。実はこちらの保育園施設のものみたいです。園児が乗ってワイワイ遊ぶのでしょうね。この後「東公園」のそばを通ります。最初は、普通の工事現場かと思いきや奥に何と機関車が。後で調べると「D51 512号機」でした。本日2回目のD51との偶然の出会い何というシンクロでしょうか。残念ながら工事中なので中に入って見学は出来ませんでしたが、壁に「新発田のお宝移築中」の文字が。更に歩くと「思ってたよりずっと、すごい」。な、なんじゃこれは(・・?。

ワンピースのサニー号
海賊船サニー号が先ずはお出迎え
新発田市のお宝移築中の看板
お宝とは?

 答えはさらにその先にありました。「大倉喜八郎」、はて?。後で調べると凄い人で、あの渋沢栄一と並ぶ明治大正時代の大実業家、今風に言うと起業の神様、たとえて言うとアニメ「逆境無頼カイジ」に出てくる兵藤会長でしょうか。幕末の動乱期に鉄砲で儲けて以降、あの鹿鳴館を作り、東京電力をはじめ大成建設、日清グループ、帝国ホテル、東京経済大学などの基礎を作った人です。90歳近いお年で81日間の大陸間旅行南アルプスの赤石岳登頂を達成するなど大変エネルギッシュな方でした。のちに自分も南アルプスの麓に引っ越すことになるとは。これも何かのシンクロなんでしょうか。

大倉喜八郎氏の看板
大倉喜八郎氏の看板
大倉喜八郎氏の年表
同氏の年代記

 さて「お宝の答えがまだでしたが、喜八郎氏が日露戦争後の大正元年に隅田川沿いの別邸敷地内に建てた「蔵春閣」です。この建物は要人の接待などに使われていたそうで、伊藤博文も訪れ関東大震災や大戦の空襲にも耐え戦後はGHQが利用したこちらも凄く歴史ある建築物。その建物が現在東京から移築され再現されてる最中とのこと。この時はまだ外装工事中で観れませんでしたが、今は足場などを取り外して外観だけは見れるようですが、まだ内装工事中らしく公開は2023年になるそうです。機会があればぜひ訪れたいですね。

 引き続き本日の宿を目指します。県道14号線沿いに行くと羽越本線を渡る高架橋があり、それを渡ります。ガスタンクに「ピースマーク」が書いてあるのが目に入りました。新発田ガスさんのタンクで街中で親しみを持ってもらえるように書き入れたのだそうです。

 14号線を真っすぐそのまま行けば良かったのに、豊町交差点で左折してとりあえず駅の東口へ出ようとします。一番わかりやすいのが豊町交差点の次の交差点を左折して真っすぐ進めば楽に行けましたが、リサーチ不足と冷たい雨の中だったので判断が甘くなっていたようです。

 時おりスマートフォンの地図を見ながら少しずつ進みます。住宅地の中を進んでいると急に開けたところにやってきますが、そこが旧国鉄赤谷線の軌道跡だとは全く分からずに通ってました。そこを真っすぐ突っ切ろうとしますと急に風が強くなり、雷が怖いので引き返して住宅街沿いに進むことにしました。

 程なく「五十公野(いじみの)公園」の表示を見つけてそのまま進みますと県道535号線に出ることが出来ました(^^;)。左折しますと公園内の運動施設などが見えてきましたので、もうすぐです。

県道535号に出たところ
県道535号の圓山寺付近
五十公野公園入り口
五十公野公園入口

 気温は7度を下回っており寒さで指がかじかんで来ていましたが、幸いなことに、雨はそれほど強く降ることはありませんでした。それまで五十公野を「ごじゅうこうや」と勝手に呼んでましたが、途中の看板で「いじみの」と読むことが分かり、日本語は難しいなあと思いながら歩いてました。ちなみに五十公野の由来は戦国武将の名前「五十公野氏」から来ていまして、上杉家のお家騒動御館の乱の際、上杉景勝を敵に回し直江兼続らに敗れ城内で自刃し滅亡してしまったそうです。

 18時6分に今日のお宿「ますがた荘」さんに到着。中は温かくホッとしました。大旦那さんの案内で、お風呂の場所を教えてもらったあとに1階の「むさしの間」に通されました。さっそく荷物を解き、モバイルバッテリーなどを充電して一息つきます。

ますがた荘廊下
ますがた荘(玄関廊下)
客室内トイレと洗面
室内トイレ(左のドア)と洗面
お部屋内のコンセント(テレビ側)
テレビ側のコンセント口
コンセント口(反対側)
反対側のコンセント口

 テレビをつけると、例のワクチンが新潟県内に配られ始め、これから一般の人々にも本格的に投与されてくるという話題でした。この時、行生はまだ打っていなかったのですが、年末に打つことになりました。

到着直後のお部屋の様子
到着時のお部屋
荷ほどき後の室内
使用時の様子

 さてそろそろお腹も空いてるので、ご飯にします。お昼に水上で買ったピザがあるので箱を開けたところ、悲惨な状態に(・.・;)。まあ薄々感じて覚悟してましたが、味が大事と開き直りグチャグチャのビザを食べ始めます。冷たくて硬い(~_~)。冷たい外気に晒したまま運んだのがいけなかったのですが、近くに電子レンジもないので、そのまま半分くらい食べました。

 幸い自宅からおにぎりを2個持参してましたので、そのうちの一つを食べて終わりにしました。旅館の人に言えばレンジを貸してくれたと思いますが、持ち込み品なので遠慮してしまいました。皆さんは遠慮せず、温かいものを召し上がってくださいませ。

 ちなみに残したピザは自宅まで持ち帰り、温めてちゃんと食べました。当然ですが、温めたやつは凄く美味しかったです。出来立てはさぞや(^・^)

 19:20ごろお風呂へ。足袋と浴衣、タオルが用意されてます。部屋の洗面コーナーに歯ブラシセットが置いてありますので、お風呂場へお忘れなく。耳かき棒やドライヤーはお風呂場にあります。

 恐る恐る行くと、自分以外誰も居ませんでした。貸し切り状態。しかし浴室は広くないので金曜や土曜日の宿泊は混んできびしい状態になるかもしれないですね。ただ時間を区切って「家族風呂」として使用することが出来るので、その場合は予め申し出ておいた方が良いかもしれませんね。

 翌朝知りましたが、その日の宿泊客は行生一人きりでした。着いたとき教えてくれれば、長湯が出来たのに(*´з`)。以下、お風呂場の様子を撮影して来ましたのでご参考になさってください。

 19:40ごろお風呂から上がりました。ここのお湯は温泉ではないですが、芯から温まって気分爽快になりました。昼間の疲れも吹っ飛びますので不思議ですね。

飲み物自販機
唯一の自動販売機;ビール、チューハイ、お茶などを売ってます

 このあとはパソコンで引き続き明日の情報収集をしてから、21:45ごろ床に就きました。ただ静かすぎて逆に寝付けませんでした。この日は妙に耳が敏感になっていたようです。また右足ふくらはぎの原因不明の張りや疼きもありましたが何とか入眠出来ました。

これも好転反応だと良いんですが。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。次の投稿4/9編では新発田市内を散策しているところと帰路の様子をお伝えします。お楽しみに(^_^)/

行生

行生

ブロガー 

 東京オリンピックが行われた昭和39年11月生まれのアラ還、九星気学上は九紫火星人。
都内男子校を卒後、慶大文学部入学。同大学を卒業後不動産事務、地方公務員と職を変え退職後フリーターとして職を転々としながらも「TOEIC」に挑戦。人生初の結果は400点ほど。以来4年ほど勉強。600点台で頭打ちとなるも、2020年末気分転換で行った吉方位旅行後すぐの受験で700点突破。その後も開運旅行を続けその素晴らしさ楽しさに目覚めインフルエンサー目指し本ブログを立ち上げ今に至る。

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