当時を振り返ると、「藁をもすがりたい」心境でした。何回も受けてる「TOEIC公開試験」でなかなか600点台を抜け出せずに居ましたので。そんな中、前々から知っていた「ゲッターズ飯田」氏の五星三心占いの本が気になり、コンビニで「金のインディアン座」の本を購入したことが吉方位旅行(方位とり)と出会ったきっかけでしょうか。10月の運勢に「どこか旅行に行くと良い」と書いてありまして、気分転換を兼ねて行こうと思い立ちました。
元々旅行は嫌いな方で、「お金と時間を使って疲れに行くようなものだ」とずうっと思ってきましたがこの時は不思議と自然に行きたいという思いが勝りました。そしてネットで色々吉方位旅行について詳しそうなサイトやユーチューブ動画を観たりして、出会ったのが「竹下宏の九星気学」の方位とり解説各種動画(ユーチューブ)、「九星気学 八雲院」の年盤、月盤、日盤と「気学ナビ」(井上裕紀子先生)の方位地図でした。竹下流の竹下宏先生は海外への方位とりをはじめ、30年以上続けられて成功されてる実績があるので、また「九星気学 八雲院」さんの方位盤は初心者でも分かりやすいのでお勧めです。井上先生はユーチューブでもご活躍されており「気学とビジネス 井上裕紀子」というチャンネルも運営されていて毎月の運勢の発信もされ、わたくし行生も以前からお世話になってました。
さてわたくし行生の人生最初の方位とりは西方位の最大吉方を利用する真ん中の月盤のみで行くものとなりました。
目指すは西に80キロほどの山梨県富士吉田市です。「お財布と相談」して、なるべく西方位の真ん中にあるホテルを選びました(川崎市の自宅から富士吉田市は西と南西の境界線ギリギリのところでした。今の判断だと別の場所にしたと思います)。日付は行きが10/27、帰りが10/28の一泊旅行。今からすると日盤も吉方で合わせた方がベターでしたね。距離も200キロ行きませんので、宿泊して寝る前は日盤の影響が強かったかもしれません。当時は土用の凶方位の知識も無く決めてしまってたので。年盤吉方位の北西につられて北西にしなくて良かったなと思います。北東の吉方と西で迷いましたが、富士山が見たいのと「新屋山神社」に行きたかったので西にしました。
運命の出発の日10/27の朝を迎えますが、出発前にまだ荷物の準備をしていて7時半ごろやっと出発。いま思うとこれはちょっと遅かったです。初めての自転車吉方位旅行なのでせめて6時台には出たかったですね。これが後々尾を引くことになります。更に途中、町田市鶴川の神明社(小高い山の上にある、更に長い上り階段を上がる)に立ち寄ってお参りしたので時間も体力もその分使ってしまいました。今なら旅行前日までに安全祈願は済ませるようにしています。
案の定9時ごろ町田市内の芝溝街道をヨロヨロ走行中、最初の難所となる馬駈交差点過ぎた辺りで早くも「明日は筋肉痛だな」とぼやきながら上ってました。下りは良いですが平地でもせいぜい時速15キロほどしか出ません、上りは歩くより遅いくらい(@_@;)。しかしながら、甲州街道沿いのレストランが11時30分ころ開店するのでそれまでには相模湖辺りまで進んでおきたいと思いつつペダルを回します。町田街道に入ると若干下りが多くなり楽に進めました。
9時30分ごろ相模原市に入り程なく国道16号線高架下をくぐり国道413号線へ、橋本駅前の交差点を通過すると徐々に上りになります。途中で短い「バナナ休憩」をはさみ今度は一気に下ります。久保沢交差点を右折して津久井湖方面へ。ここら辺から周りの自然も豊かになりテンションが上がったのも束の間、10時ころ城山ダムを通過後に第二の難所が待ち受けます。何とか足を着かず上った後、自転車を降りて「水休憩」その後下りと上りが交互に来て相模湖手前8キロの大沢交差点を通過後、登坂車線が始まり3番目の難所へ突入、やむなく歩道へ入り自転車を押して上がることに。この時もうすでにフラフラ、坂の中程で一旦立ち留まり休憩してから再出発し何とか頂上へ。
そのあと一気に下って三ヶ木交差点を経てその後下り基調で道志橋へ。そこからまた急な登り(4番目の難所)になり狭い歩道を走る破目に。途中までヨロヨロ上るも力尽き休憩、押して上がりたかったのですが、道幅せまく乗ってゆっくり上がります。足を何度か着いてようやく上がりきりました。その後またアップダウンを繰り返し、「プレジャーフォレスト」入り口付近の自動販売機にて水を購入、ついでに少し休憩です。
再スタートしたもののまだ坂の途中でしたので、一番軽いギアでノロノロ登っていきます。上りながら「何か食べないと」とつぶやいてますので、空腹感はかなりのものだと思います。この後かなりのダウンヒルが続き一気に相模湖大橋へ。
その後上り基調で11時半ころ「相模湖駅前交差点」を通過して暫く走った後スマホの電池が切れ、撮影もストップします。下の地図の実線部分まで進んで相模湖途中で切れてるのがお分かりかと思います。大体中間地点の上野原市までまだ距離がありますし目的地の富士吉田は遥か先です。この先は後日(2021年8/29)に電動アシスト自転車で走ってますのでこれから使う写真は当時のものではないことをご了承ください。この先に目指すレストラン「見晴らしドライブイン」や「レストラン てんすい」がありましたが当時は残念ながらお休みでした。
暫く走って「ようかん休憩」をとり、ようやくスマホの電池切れに気が付くのですがなぜか何度つないでもモバイルバッテリーで充電できず撮影は断念しましたが、ちょうど止まった目の前に「吉野宿 ふじや」がありました。無料で見学できるようになってましたので(今は見学出来ないないようです)、靴を脱いでお邪魔したことを覚えています。木製の梯子が狭く急だったのが印象的でした。少しカロリーを補給出来たので引き続き先を目指します。
相変わらずアップダウンが続きますが、「藤野駅」を過ぎると「ウルトラマン」が軽トラに乗っていたりと面白い風景に遭遇します。
この後しばらく下り基調が続き気持ちよく前に進み、いよいよついに山梨県内に入ります。うれしさも束の間、入ってすぐに第五の難所が登場します。電動自転車では11時半の時点で上野原(中間地点)まで来れてますので、クロスバイクより早く快適に移動できてるのが分かります。ここも長い坂なので最初から自転車を押して上がりました。
この難所のあとも登り基調で、「上野原郵便局」まで上がりますと右に中華料理の「来々軒」さんが見えてきます。こちらは当時営業中でしたが、バイクなどが沢山並び、お店も混んでそうでしたのでスルーしてしまいました。今でもこれは後悔しています。この日から「旅行中カロリーは取れる時に取る」というのが自分の中では決まりになっていきました。上野原市は山梨の「東の玄関口」で結構、街としては大きいと思います。また東京、神奈川に近いので割と活気があると思いました。
「上野原警察署」からは長い下り基調になり一気に進みました。しかし「ダイソー上野原店」辺りから長い登り基調でプラマイゼロといった感じでしょうか。旅行当時は、こまめに休憩しながら上がっていったと思います。
途中「中部横断自動車道」の南部~下部温泉早川までが本日16時開通と表示が。旅行当時の事ではありませんが、この2か月後に「中部横断自動車道」の沿線に引っ越すことになるとは夢にも思いませんでした。これも何かの縁なんでしょうか。「四方津駅」付近まで来ると「コモア・ブリッジ」が見えます。ガラス張りで近代的です。上にある街までつながってるようで、一度これで上がってみたいですね。この後下り基調でスピードも出て走りやすくなります。しばらく下ると大月市の表示が出ました。
ここから「梁川」「鳥沢」「猿橋」と比較的にアップダウンも比較的少なく通過します。しかしながらこれまでの疲労の蓄積は凄まじく、電動アシストでもかなりの負担でしたから、クロスバイクだった当時はスタミナ切れ寸前の危険な状態だったと思われます。「猿橋駅」を迂回して通り過ぎる辺りから大月まで上り基調が続きます。
当時フラフラしながら「駒橋交差点」を右へ入り、やっとこさ大月市街に入れました。とにかく食事をしたいので街道沿いにあるレストランを探しながら進みました。「大月駅前交差点」を過ぎてからレストランを確認するために右側歩道を進んでいました。やっと見つけたと思ったレストランが時間外で営業していなくて、よくよく時間を確認したらもうすでに14時半近くになってました。あまり遅いと普通にランチタイム終わっちゃいますもんね。今では常識的なことが当時は分かってませんでした。更にこの後大変なことになります。
頼みのお店が開いてなくて「失意の落ち武者」の如くうな垂れながら進んでいると、写真の赤矢印方向から来たトラックと見通しの悪い交差点で結構激しくぶつかりました。「うわっ!」と叫んだ時にはもうぶつかってました。